大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成4年(う)408号 判決

本籍

東京都世田谷区南烏山二丁目三一番

住居

同都板橋区西台四丁目三番五号 モアクレスト西台一〇〇六号

不動産賃貸業

瀬戸恒貴

昭和一七年七月一三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年二月一二日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官小谷文夫出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高橋勇次及び同土居範行連名の控訴趣意書並びに同長谷川修名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官小谷文夫名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

弁護人高橋勇次及び同土居範行の控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判示第一の事実につき、被告人は、その確定申告書を提出した当時、株式売買益に対する課税要件の認識は勿論、所得税逋脱の犯意も有していなかったにもかかわらず、これを有していた旨認定判示した原判決は、事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討するに、原判示第一の事実につき、被告人が逋脱の犯意をもって右犯行に及んだ旨認定判示した原判決は、その補足説明部分をも含め、総て正当として是認することが出来る。所論に鑑み、更に、敷衍して説明するに、関係証拠によると、次の事実が認められ、これに反する被告人の原審公判廷における供述は、他の関係証拠に照らし、到底措信することが出来ない。すなわち、

一  被告人は、昭和四一年四月三井信託銀行株式会社に就職し、本店及び各地の支店に勤務した後、同五六年一〇月以降広島支店に融資課長として、同六一年一月以降渋谷支店に融資・不動産業務担当次長としてそれぞれ勤務していた者であるが、同六三年四月末ころ退職届を提出したところ、一旦は受理されたものの、同年一〇月に至り本件脱税を理由に懲戒解雇された。

ところで、被告人は、広島支店勤務当時の昭和五七年ころ、同支店内で催された単位未満の株式に関する講習会に出席し、その資料として使用された「単位株式制度・株式市場に波紋」という見出しの付された新聞記事の切り抜きを入手した。その資料には、商法の改正により、単位未満の株式が単位株式に比しいろいろの面で不利な取扱を受けるようになるので、単位未満の株式につき、投資家から買取請求がなされた場合、その株式を発行した会社が買取義務を負わなければならないこと、買取請求をした場合の税金問題につき、株主には有価証券取引税の支払いが義務付けられるほか、その売買益が課税の対象になる可能性もあることなどが記載されていた。被告人は、右資料中の「現在、年間五十回以上、二十万株以上の株式売買をした場合は、売買益に対し、総合課税されることになっている。」旨の課税要件に関する説明部分に赤鉛筆で傍線を引き、これを渋谷支店へ転勤した後も自己の机の中にしまって置いたところ、本件査察の際に押収された。

なお、被告人は、従前社員持株制度として、三井信託銀行株式会社の株式を所有していたに過ぎなかったが、広島支店勤務当時の昭和五九年九月ころから株式の取引を始め、渋谷支店へ転勤になった同六一年一月ころから本格的に大量の取引をするようになった。

二  大東証券株式会社渋谷支店に勤務し、営業課長として顧客の株式売買の取次を担当していた広瀬繁は、昭和六一年八月ころ、同支店の店頭によく顔を出していた被告人を知ったが、そのころ、同支店内において、被告人から株式売買益に対する課税要件に関する質問を受けたので、一年間を通じ、売買回数が五〇回以上、かつ、売買した株式数が二〇万株以上である場合、あるいは同一銘柄の株式を二〇万株以上譲渡した場合には、その株式の売買ないし譲渡による所得につき、所得税が課される旨を説明した上、その要件を超えないような範囲の取引に留める方がよい旨助言し、更に、同年暮れころにも同様の説明をした。なお、その際、被告人が広瀬の説明を聞いても特に変わった様子を示さなかったので、同人としては、被告人が課税要件につきすでにある程度の知識を有しており、そのことを確認するために質問したものと受け止めている。右説明を聞いた後、被告人は、課税要件に該当しないように仮装し、かつ、大量の株式取引が勤務先に露見しないようにすべく、右広瀬らに依頼し、同年九月二日には大東証券株式会社渋谷支店に妻陽子及び長女清歌名義の、同年一一月四日には同支店及び立花証券株式会社渋谷駅前支店に妻の父長谷川虎之助名義の、同年一二月一八日には大東証券株式会社渋谷支店に次女若菜名義の株式取引口座をそれぞれ開設して、取引名義の分散を図った上、それ以後、自己名義のほか、それらの名義を使用し継続して大量の株式取引を行うようになった。

三  被告人は、昭和六一年三月ころから同年一二月ころまでの間に、株式購入資金を三井信託銀行株式会社渋谷支店及び東洋信託銀行株式会社から借り入れたほか、前記長谷川虎之助、義兄(姉の夫)高山次郎及び実兄瀬戸秀雄らからも借り入れていたので、同人らに対する利息等を精算するに際し、書簡三通(昭和六二年三月二三日付で長谷川虎之助宛のもの、同年五月五日付で高山次郎宛のもの及び同年三月二二日付で瀬戸秀雄宛のもの)をそれぞれ郵送したが、右の各書簡には利息の明細が記載されているほか、その末尾に、「なお、本書類は送金額を確認の上は、必ず破棄して下さい。」(長谷川虎之助宛のもの)、「なお、本書類は送金額確認の上は、必ず破棄して下さい。」(高山次郎宛のもの)、「なお、当書類は、対税上のこともあり、送金額を確認の後、必ず破棄して下さい。」(瀬戸秀雄宛のもの)などとそれぞれ記載されており、そして、被告人がそのような記載をしたのは、株式売買益を得ていることや右長谷川らの利息収入が税務署に知られないようにするためであった。

四  被告人は、検察官に対する平成二年一一月一日付供述調書において、「私は、昭和六一年及び昭和六二年の私の所得税の確定申告の際に、いずれも各年の私や家族名等の借名名義で取引した株式売買の売買益を除外するなどして自分の所得を過少に申告し、合計約六億七、八〇〇万円の所得税を脱税したことは間違いありません。家族名等の借名で取引したのは、当時、株式売買については、一年間に取引回数が五〇回以上で二〇万株以上であると、その売買益に課税されることを知っておりましたので、それを免れるため取引回数を分散したのでした。」と供述し、更に、検察官に対する同月一二日付供述調書(一〇枚綴りのもの)においても、「既に申し上げているように、私は、昭和六一年及び昭和六二年の所得税の確定申告の際、私の株式売買によって、各年における株式の取引回数が五〇回以上であって、株数も二〇万株を超えていたことや多額の売買益が生じたことから、これを所得として申告しなければならないことを知っていながら、株式売買の売買益を除外する等して所得を過少に申告し、所得税を脱税したことは間違いありません。」と供述しており、更に原審第一回公判(平成三年一月二二日)において、被告事件に対する陳述として、本件公訴事実は間違いない旨陳述しているほか、保釈出所後の第五回公判(同年四月一〇日)に行われた公判手続の更新や訴因変更手続(原判示第一の事実に関するもの)の際にも、その変更された訴因につき、同様の陳述をしている。

以上のように、被告人は、三井銀行広島支店勤務当時、講習会に出席して、株式売買益に対する課税要件が記載されている新聞記事を入手し、その課税要件に関する説明部分に赤鉛筆で傍線を引き、これを渋谷支店に転勤した後もノートに挟んで保管していたこと、更に、渋谷支店へ転勤した後に、証券会社の営業担当者からも株式売買益に対する課税要件の説明を受け、かつ、その要件の範囲を超過しないようアドバイスされるや、その約一か月後に至り、取引名義の分散を図るべく、家族や親類の名義で株式の取引口座をそれぞれ開設し、以後それらの名義を用い継続して株式取引を行ったばかりでなく、捜査段階において株式売買益の課税要件を十分承知していた旨の供述をし、原審において、身柄拘束中のみならず、保釈出所後も、被告事件に対する陳述の際、原判示第一の事実を認めて争わない旨の陳述をしたこと、株式の取引による所得の発覚を防止するため、その購入資金の提供者に対し、融資資金の清算をするに当たり、対税上のこともあるので、関係書類を必ず破棄するように求めていることが認められ、これらの諸点に徴すると、被告人は、原判示第一の所得税確定申告当時、昭和六一年中に課税要件を満たす株式取引を行い、その結果、多額の株式売買益を取得したので、これに課税されることを十分承知しておりながら、その売買益を除外して確定申告したことが明らかであって、株式売買益に対する課税要件を認識していたことはもとより、逋脱の犯意を有していたことも優に肯認することが出来る。

所論は、原判決が重視している新聞記事は、被告人が広島支店に勤務していた昭和五七年ころ、講習会の参考資料として使用された古いものであり、しかも、単位未満株に関するものであって、株式売買益の課税要件を主な内容とするものではない上、昭和六一年の所得税確定申告当時、その存在すら意識していなかったものであり、一般に株式売買益は原則非課税とされていたのであるから、たとえ被告人が銀行員であったとしても、当然に株式売買益に対する課税要件の認識があったということは出来ない旨主張する。

確かに、被告人が新聞記事を入手したのは広島支店勤務当時の昭和五七年ころであり、その主題とするところが単位未満株買取請求制度にあることは、所論指摘のとおりである。しかし、右記事は、最後の項で買取請求した場合の税金問題を取り上げて全体を締めくくっており、被告人は、その中の課税要件を説明した前記引用部分に赤鉛筆で傍線を施しているのである。本来、単位未満株買取請求制度の説明資料であるのに、被告人が、傍論ともいうべき課税要件の説明に傍線を施しているということは、それだけ、その点に対する興味ないし関心が高かったことを示すものといえる。その後、この資料を読み返す機会がなければ、取引の回数や株数など課税要件の細かな数値までは記憶に留まらないとしても、株式取引による利益が全面非課税ではなく、一定の要件の下に課税の対象となるということは、一度理解すれば簡単に忘れるようなことではない。所論は、当時、一般に株式取引は原則非課税という認識が浸透していたと主張するが、原則非課税ということは、例外的に課税の対象となることがあるということであり、被告人も、当時からその程度の認識は有していたことになる。そして、被告人は、右講習の二年後の昭和五九年九月ころから株式取引を始め、同六一年一月ころから本格的に大量の取引をするようになっているが、株式取引による利益が全面非課税でなく、例外的にもせよ課税の対象となる場合があることを知っている以上、取引量が増えるに従い、課税要件及びこれを回避する対策についての関心が高まるのは自然の勢いであり、当然これらについての知識を取得していったものと推認されるのみならず、現に、次に検討する広瀬証人の証言によれば、遅くとも昭和六一年九月二日に妻名義の取引口座を開設する少し前の時点では、既に課税要件に関する知識を有していたことが認められるのである。もとより、課税要件のような実務的な知識は、書籍、雑誌の記事や人の話など、有形無形のさまざまな情報源から齎され、集積されていく性質のものであるから、後日になってこれを取得した日時、場所やその個々の情報源を特定することは困難であるが、原判決が、その情報源の一つとして、本件新聞記事の存在を挙げていることは相当であり、これをもって誤りということは出来ない。

次に、所論は、原審証人広瀬繁の証言は、(1)被告人から、課税要件につき質問されたという時期、状況が曖昧である上、(2)昭和六一年の暮れころ、取引数が多くなって来たので、課税要件を超えたら税金を納めなければならないとアドバイスしたが、そのころ、一銘柄一〇万株を超える程度で二〇万株を超えていなかったと思う旨の供述部分は、同年一二月五日と一一日の二日間の取引だけで二〇万株を超えているという客観的事実と相反しており、到底信用出来ないと主張する。

そこで、検討するに、(1)広瀬証人は、平成三年七月一〇日大阪地方裁判所で施行された原審の公判期日外の尋問において、被告人と知り合ったのは、被告人が妻名義の取引口座を開設した昭和六一年九月二日より約一か月位前であるが、被告人から最初に課税要件について質問されたのは、右口座開設前、店頭においてであり、開設後にも二、三回確認の意味で聞かれていると明瞭に述べており、その供述内容に何ら不明確なところはない。(2)また、所論は、被告人の平成二年一一月一日付検面調書添付資料〈10〉(控訴趣意書八頁に「〈9〉」とあるのは、誤記と認める。)を根拠に、大東証券渋谷支店の瀬戸陽子名義による昭和六一年暮れの取引は優に二〇万株を超えていると主張するが、右主張は、課税要件についての弁護人の誤解を前提とするものであって到底採るを得ない。すなわち、同一銘柄二〇万株以上の取引が課税の対象となる場合の株数とは、譲渡にかかる株数をいうものであって、買い付けを含む取引全体の株数ではない。問題の時期における瀬戸陽子名義による飛島建設株の売り付けは昭和六一年一一月二八日の七万株と同年一二月一一日の一一万七〇〇〇株の二回だけであり、合計一八万七〇〇〇株に過ぎず、まさしく広瀬証言のとおり「一銘柄一〇万株を超える程度で、二〇万株は超えていない」のである。同証人は、同尋問期日において、被告人から再三に亘り、当時既に課税要件を超えていた筈だと追及されながら、右供述を変えていないのであって、この一事をもってしても、同証人の記憶が極めて正確であり、かつ、その供述が記憶に忠実になされていることを窺うに十分である。広瀬証言を争う所論は、採るを得ない。

更に、所論は、長谷川らに送った三通の書簡につき、各人に配分した運用利益が微妙に異なるので、そのことが他の者に漏れて三者間に不信感が生ずることを危惧したためであって、被告人自身に対する課税問題を意識したものではないから、右書簡の記載をもって、被告人が株式売買益に対する課税要件を認識していたものと認定することは出来ない旨主張する。

しかしながら、所論の事情から三者間の不和を未然に防止する目的と、被告人自身に対する課税回避の目的とは両立し得るのであって、前者があったからといって後者が排除される筋合いはない。後者については、被告人自身、検察官に対し、「株式取引をして売買益が出たことを税務署に知られないようにするためであった」旨明白に自認しているところであり、右書簡の記載をもって被告人が株式売買益に対する課税問題の発生を意識したものであるとした原判決の判断に誤りはない。

また、所論は、被告人が他人の名義を使用して株式取引をした動機は、被告人自身の単独名義で大量の株式取引をすると、兜町で有名になり、証券取引所から照会がある旨聞いていたので、もし照会された場合、被告人の株式取引が勤務先に知れ渡り自己の立場に悪い影響を及ぼしかねないことを危惧したためであって、株式売買益に対する課税要件を回避するためではない旨主張する。

そこで、検討するに、被告人は、原審公判廷において、所論に副う供述をしているけれども、前記広瀬証人は、原審において、大量の株式が買われて急に相場が上昇するなど、株価操作の疑いがある場合、特に注意銘柄とか注目されている銘柄に関し証券取引所から証券会社に問い合わせが来ることはあるものの、その全部について問い合わせが来るわけではないし、また、その問い合わせに基づき報告した場合であっても、個人名が他に漏れることはない旨証言しており、更に、被告人は、証券会社の営業担当者に株式売買益に対する課税要件を問い質した直後、妻名義の取引口座を開設しているのであって、これらの事情に被告人の捜査段階における供述を併せ考慮すると、被告人の所論に副う前記供述はたやすく信用することが出来ない。してみると、右所論は前提を欠き失当といわざるを得ない。

所論は、昭和六一年中における被告人名義及び家族らの名義による取引には課税要件を超えているものがあり、この点からみても、被告人が当時課税要件を意識していなかったことが明らかであると主張する。

なるほど、関係証拠によれば、被告人は、(1)被告人名義の口座で昭和六一年五月二日に飛島建設株二五万六〇〇〇株を売り付けているほか、その後も同月中に同社の株を大量に売り付けており、「同一銘柄二〇万株以上の譲渡」の課税要件に触れていること、また、(2)被告人名義の同年中の取引は「年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上」の課税要件にも当たるものであることが認められる。しかし、(3)所論にもかかわらず、家族らの名義の口座による取引で課税要件に触れるものは見当たらない。

そこで、検討するに、右(1)の点については、被告人は、同年五月当時、課税要件として「年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上」との要件のほかに、「同一銘柄二〇万株以上の譲渡」の要件があることは、念頭になかったものと認めざるを得ない。そのことは、被告人の右取引の態様及び前示講習会資料の新聞記事にも右要件についての記載がなかったことからも窺えるところである。しかし、先に説示したように、被告人は、その後遅くとも広瀬証人に課税要件についての質問をした時点までには、後者の要件についても正確な知識を得るに至っていたものと認められるのであって、右時点以降は、右要件に触れるような譲渡はしていない。したがって右(1)のような取引が含まれていても、そのことは、本件犯行の実行行為である虚偽過少申告行為の時点における犯意認定の妨げとなるものではない。

また、右(2)の点については、原判決も指摘しているように、被告人は、被告人名義の口座を多数の証券会社の店舗に分散し、各店舗毎に売買回数を五〇回未満に抑えているのであって、不十分ながら税務当局による捕捉を困難ならしめるような工作をしていることが窺われるから、これまた課税要件を知ってこれを免れようとしたことの現れとみることが出来るのである(当審で取り調べた被告人名義の上申書によれば、被告人名義の口座を多数開設したのは、広瀬証人に課税要件について質問した時期より前であるというが、被告人が「年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上」の要件を知ったのは右質問の時期より前であったと思われるし、仮にそうでないとしても、ここで重要なのは、口座数を増やしたことよりも、一口座当たり取引回数を年間五〇回未満に抑えているということなのである。)。

更に、右(3)の点について付言すれば、「年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上」の課税要件は、その双方の要件を同時に満たす必要があるから、取引回数が五〇回未満になるようにさえ配慮していれば、株数が二〇万株以上になったとしても課税要件を満たすことはないのであり、被告人が取引の回数にのみ気を配っていたということは、課税要件を正確に認識していたことを示すものである。また、先にも指摘したように、「同一銘柄二〇万株以上の譲渡」の要件には株式の買い付けは含まれていないところ、被告人はここでも譲渡にかかる株数が二〇万株未満となるよう配慮を怠っていないのである。家族らの名義による取引に関する所論は、課税要件についての誤解に基づくものというほかない。

なお、所論は、原判決の採用した売買回数の計算方法について異を唱え、当審で取り調べた被告人名義の上申書中にはこれに副う記載があるが、所論の計算方法によってみても、昭和六一年中における家族らの名義による取引回数が五〇回未満であることは明らかであるから(同六二年分に関しては、課税要件の認識に争いがない。)、前示認定を左右するものではない。

それ故、この点の所論は総て採るを得ない。

最後に、所論は、被告人が検察官に対する各供述調書(平成二年一一月一日付、同月一二日付)や原審第一回公判廷において、株式売買益に対する課税要件を認識しており、したがって、昭和六一年分の所得税逋脱についても犯意があった旨供述したが、かかる供述をしたのは、昭和六二年分については所得税逋脱の犯意を有していたことを自覚していること、同六一年分についても結果として税金を支払っていないことは事実であるので、それよりも早く身柄の拘束を解かれた方が良いと考えたためであって、捜査段階や原審公判廷における被告人の右供述は信用出来ない旨主張する。

しかしながら、所論が指摘する被告人の検察官に対する各供述調書は、いずれも原審において、同意書面として取り調べられている上、被告人自身、原審第一回公判のみならず、保釈出所後約二か月近くも経過した第五回公判においても、同様の供述をしている(同公判において、裁判官が変わったので、公判手続を更新し、更に、原判示第一の事実につき訴因の変更がなされたので、改めて右被告事件に対する被告人の陳述を求めたところ、被告人は、その公訴事実は間違いない旨陳述していることは記録上明らかである。)のであって、捜査段階や原審公判廷における被告人の供述が単に保釈の許可を得るための便法であったとは到底考えられないから、原判示第一の事実に関する被告人の右供述は十分信用出来るものというべきである。所論は、昭和六二年分の逋脱額が六億三一五八万一五〇〇円であるのに対し、これを争っていないにもかかわらず、同六一年分の逋脱額が四七七九万二三〇〇円であるに過ぎないのに、これを争っていることに徴しても、被告人の原審公判廷における供述が信用出来る旨主張するが、右のような事情を考慮しても、所論に副う原審公判廷における被告人の供述が措信出来ないことはすでに詳述したとおりであるから、右所論は到底採用することが出来ない。

以上の次第で、事実誤認に関する論旨はいずれも理由がない。

弁護人長谷川修の控訴趣意並びに弁護人高橋勇次及び同土井範行の控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、要するに被告人が本件脱税に至った経緯、その態様、査察後の協力態度、著しい反省等に照らすと、原判決の量刑は不当に重いというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、被告人が株式取引による所得等に関し、これを免れようと企て、家族や親族の名義を用いる方法により株式取引名義を分散させるなどして、その所得を秘匿した上、(一)昭和六一年分の実際所得金額が八八一二万六三二六円であったにもかかわらず、所轄税務署長に対し、総所得金額が三八九万二七九八円であって、これに対する所得税額は源泉徴収分を控除すると一八六万八八〇〇円の還付を受けられる旨を記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定の納期限を徒過させ、もって不正の行為により、四七七九万二三〇〇円の所得税を免れ、(二)昭和六二年分の実際所得金額が一〇億六八三七万二〇〇〇円であっにもかかわらず、所轄税務署長に対し、総所得金額が八一七万八三〇八円であって、これに対する所得税額は源泉徴収分を控除すると一三五万六七〇〇円の還付を受けられる旨を記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定の納期限を徒過させ、もって不正の行為により、所得税六億三一五八万一五〇〇円を免れたという事案である。

右にみたとおり、被告人は、前後二年間に亘り、株式取引による多額の売買益や配当所得を得ていたのに、これらを秘匿して一切申告せず、その余の所得についても源泉徴収税額の還付を受けるなどして、各年分の所得税合計六億七九三七万三八〇〇円を免れたものであり、その逋脱額が巨額であるとともに逋脱率も一〇〇パーセントに近い高率となっている(ちなみに、原判決は、逋脱率につき「各年分とも還付を受けているため一〇〇パーセントを超える」云々と説示しているが、課税額を超えてこれを逋脱するということは本来不可能であって、逋脱率が一〇〇パーセントを超えることはあり得ない。原判決が「正規の所得税額」として判示している金額は、源泉徴収税額を控除した後の税額であって、正確にいえば、所得税法一二〇条一項五号によって確定申告書に記載し、同法一二八条によって納付しなければならない税額のことである。しかし、逋脱率を算出する場合に分母とすべく税額は、源泉徴収税額を控除する前の税額(課税総所得金額に対する税額から税額控除分を差し引いたもの。なお、原判決別紙の各税額計算書に源泉徴収税額を「税額控除」と表示しているのは、正確な表現ではない。)でなければならない。そうでなければ、逋脱率の計算上課税総所得金額に対する税額のうち既に源泉徴収されている分を無視することとなって、公平を害する結果とならざるを得ない。この計算方法によれば、源泉徴収税額が全額還付を受けた場合に初めて逋脱率が一〇〇パーセントに達するのであって、それ以外の場合には常に一〇〇パーセントを下回ることになるのである。したがって、原判決の前記説示は措辞妥当を欠くというべきであるが、もとよりそのことは本件の量刑判断に影響を及ぼすものでない。)。原判決も指摘するように、犯行の動機には特段の酌むべきものが見当たらず、課税要件を潜脱するため家族や親族の名義を用い、多数の証券会社に口座を分散させるなどした所得秘匿の手段、方法も悪質であって、これらの諸事情を総合すれば、被告人の刑責は甚だ重いものといわざるを得ない。

所論は、本件後、所得税法の改正により、株式の売買益に対する課税が抜本的に変更された結果、その改正法を適用した場合、改正前の所得税法を適用される納税者との間に著しい不公平が生ずるので、その点を十分配慮して、被告人に適切な刑罰を科すべきである旨主張する。しかし、右の改正法は経過規定を設け、改正前の行為には適用しない旨定めており、そして、右経過規定を設けた趣旨は、裁判時の如何を問わず、同一の法令を適用して正規に納税した者との間に不公平が生ずることのないように扱うことを明らかにしたものであるから、被告人の本件所得税につき改正法を適用する余地はないのみならず、この点を被告人に有利に斟酌すべきいわれは全く存しない。

しかしながら、被告人に有利な情状としては、被告人は、本件の査察が開始されるや、これに素直に協力したことはもとより、直ちに修正申告をして、その本税のみならず、附帯税や地方税についても全部完納するなど深く反省しており、改悛の情も顕著であること、前科前歴は全くないこと、被告人は、本件が発覚したため勤務先を懲戒解雇され、更に、新聞等でも大きく報道されるなど、相当程度の社会的制裁を受けていること、高血圧や狭心症(原判決言渡前に二回、当審に至ってから一回それぞれ狭心症の発作を起こしている。)を患い現在も通院加療中であること、その他の諸事情が認められるが、これらの点を十分斟酌しても、本件につき、懲役刑の執行猶予を相当とする情状があるものとは到底認められず、被告人を懲役二年及び罰金一億三〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、その刑期、金額の点からみても誠にやむを得ないものであって、これが重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨はいずれも理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 新田誠志 裁判官 浜井一夫)

平成(う)第四〇八号

控訴趣意書

被告人 瀬戸恒貴

右被告人に対する所得税法違反被告事件について、控訴趣意書を左のとおり陳述する。

原判決における事実誤認の点については、相弁護人高橋勇次、同土居範行が別途控訴趣意書をもって陳述したから、ここでは原判決における量刑不当の点についてのみ控訴趣意書を陳述することとする。

原審は被告に対し、懲役二年および罰金一億三〇〇〇万円に処する旨の判決を言渡した。しかし、本件における左記の諸事情等を考慮すると、罰金額もさりながら、特に懲役刑について実刑を科したとは酷に過ぎるものであり、極めて不当である。以下その理由の要旨を述べる。

一、本件の背景について

1、バブル経済下で行われた事犯である

被告人が本件株式売買を行なった昭和六一年、同六二年当時は、日本経済がいわゆる金余り時代、超金融緩和時代と呼ばれた時期に当り、豊富な資金が株式市場などに流れ込み、その市況は絶頂期に達し、バブル経済、財テク、マネーゲームなどと騒がれていた。当時株価は上昇の一途を辿り、証券会社も売買拡大のため信用取引の方法を勧め、銀行や証券金融会社なども株式担保にて容易に資金融資をして株式売買の促進に力を貸すなどして、経済界のみならず世間一般が株式売買に熱中していたのである。

しかも、当時の株式売買益に対する税法制は、一年間の売買回数が五〇回を越え、かつ株式数が二〇万株以上の取引をした場合のみ課税する建前になっていたため、世間では株式売買益については原則非課税であるとの考え方が根強く浸透していただけでなく、株というものが極めて不安定な商品で、今日たまたま大儲けをしても明日は一転して大損するかも知れないというギャンブル的要素が強いために、一般には株式売買益についての納税意識が希薄であった。その上、当時の大蔵省はこのような事態を十分に知りながら、納税についての適切な行政指導を怠っていたので、現実にも株式売買益を所得申告して納税するものは極めて希であったのである。

本件の背景には右のような社会的、経済的事情があったことにまず注目しなければならない。

2、渋谷支店の大半の行員が株取引に熱中していた

また、被告人が在勤していた昭和六一年、同六二年当時の三井信託銀行渋谷支店は、赤坂、青山、世田谷など、最新情報を駆使する企業が多く、いわば東京の主要な情報集積地域を営業区域とし、特にかっての大きな顧客であった東急企業グループへの融資が縮減したため、新たな融資先を積極的に開拓すべき営業方針が打出された。とりわけ地域柄、特定金銭信託(事業会社から資金を受託して証券会社の投資顧問会社の指図に基づき本店で運用するもの)やマネーファンドトラスト(業者の余裕資金を受託して本社独自の判断で一括運用し顧客に利益を配当するもの)などのセールスにより融資先から豊富な情報が得られたり、同支店に出入りする各証券会社の営業マンからも多くの情報が得られたりしたので、これらの情報を手がかりに、支店長をはじめ行員の多くが自らの株式売買を頻繁に行っており、昼休み時間などには特定の喫茶店が行員の溜り場となり、行員相互間における株式売買に関する情報交換が盛んに行われるという状態であった。(田原健一の平成二年一一月五日付検察官調書、被告人の公判供述参照)。

右のような渋谷支店内の空気は、同支店の顧客であり、特定の仕手筋の人物である小谷光浩が出入りすることによって一そう増幅させられていた。そして、被告人にとっては、まさに同人との出会いが本件株式取引を開始する端緒となったし、またこれに熱中するようになった大きな要因となったのである。

本件事犯は以上述べたような異常ともいえる時代環境、職場環境を背景とし、その強い影響のもとに行われたものであって、通常の場合と著しく趣を異にするものである。したがって、これらの背景もまた、被告人のための有利な情状として、量刑の上で然るべく考慮されなければならないと考えるのである。

二、本件の犯情について

1、明確に意識された目的はなかった

被告人は昭和六〇年二月初旬、職場の同僚松尾治樹から、小谷光浩が株式売買を大きく扱っていることや、同人が蛇の目ミシン株を買い集めているので、同社の株価は値上がりするであろうとの情報を得た。そこで同月一〇日頃試みに二、〇〇〇株程買ったところ、松尾の情報どおり、右株価は急騰し、同月下旬には相当の利益を得て売却することができた。そのため、被告人は小谷光浩という有名人が買い集めている株を買えば必ず値上がりし、相当の売却益を得ることができると思い込むようになった。そして、その後同年四月か五月頃右小谷が経営するコーリン産業株式会社から渋谷支店に対し、新たな融資に対する担保として、蛇の目ミシン株三、一〇〇万株が提供された事実を知り、右の思い込みを一そう強くした。

被告人は右のような事情と経緯によって本件株式売買を行うようになったが、幸か不幸か、被告人の生来的に物事に熱中する性格が災いして、株式売買に熱中するようになり、その後次第にエスカレートしていって飛島建設株や国際航業株などいわゆるコーリン銘柄といわれる各株式を大量に売買するに至ったものである。

被告人は物事に熱中する性格であって、いったん自分でこうと思い込むと脇目もしないで駆け出してしまい、何かに突き当たらないと気がつかないタイプである。被告人が本件株式の売買に没頭している姿は、あたかも何かに憑かれたような、また熱病に浮かされているような状態であった。株式売買などは好まない妻から、幾度かこれを中止するよう忠告され、また昭和六二年の後半には被告人がこれ以上株式売買を続けるならば、被告人との生活を解消する旨申し向けられたが、被告人はそれでも株式売買を止められなかったのである。

そして、売買益が生じたとしても、被告人はこれを家計に消費するわけでもなく、すべてをまた新たな株式売買の資金に投じ、ひたすら株式売買の拡大にのみ没頭していったのである。(被告人の公判供述、証人瀬戸陽子公判供述参照)。

被告人は右のように、ものに憑かれたような、熱に浮かされているような状態で株式売買を行い、これを継続していったのであって、当初から売買益の利用に関する明確な目的を有していたわけではなく、したがってまた売買益の正確な把握も管理も必ずしも十分でないまま、あたかも売買自体が目的であるかの如き状況で取引に没頭していたものである。この点に関し、原判決は、被告人が自己の資産の増加を目的に株式取引を行い脱税したもので、動機に酌むべきものはない旨断定しているが、このような断定はことの真相を見誤るものであり、右経緯、事情に徴し明らかに不当というべきである。

なお、因みに被告人の行った本件株式売買は、いずれも小谷光浩から直接情報を得たものではなく、同人が買い求めているとの銀行内の噂や情報と、同人との雑談におけるヒントや感触などにより、被告人自らが判断して行なったものであり、また同人との間で行なった相対取引も、同人から懇請されて心ならずも止むなく行なったものであって、被告人から要求したものではない。被告人はいかなる意味でも自分の方から右小谷に積極的に働きかけたことはないのである。しかるに、これらの点について、原判決は、被告人が職務上の立場を利用して不公正な方法により利益を図った旨判示しているのであるが、これまたことの真相を見誤るものであって、極めて不当というべきである。

2、計画性はなかった

既に述べたところから明らかなように、本件は、株式市場における活性化が極点に達した丁度その頃、三井信託銀行各支店の中でも最もその情報の豊富な渋谷支店に被告人が転勤して来たこと、同支店にていわゆる仕手戦に長じた顧客小谷光浩と出会ったことなどに加え、物事に熱中する被告人の性格が本件株式売買に向けて被告人を駆り立てていったものであった。

被告人はいったん株式売買を始めると、あとは何かに憑かれたように熱中し、一つの目的のためというよりは、あたかも売買のための売買といった状態で株取引を行なっていったのであって、そこには一定の目的とか、冷静な計算というものの介在する余地がまったくなかったのである。

したがって、被告人は昭和六二年の本件売買益を秘匿して申告せず、これに対する課税を免れたものであるが、被告人の本件犯行には逋脱金額が高額に達した点はともかく、その秘匿行為については悪質な事前の計画性はないことが明らかというべきである。

3、手段に悪質性はない

被告人は本件株式売買を行なうに当り、家族や親族名義の口座を設けたり、証券会社の店舗を分散させるなどして大量の株式取引を行なったことは事実である。しかし、これは被告人が自己の課税を免れるために所得を隠す手段として行なったものではなく、もっぱら被告人が大量の株式売買を行なうことで兜町の証券界で有名になることの悪影響を恐れたからにほかならないのである。原判決は、被告人が脱税の手段として右のような方法を用いたと認定し、論難しているが、重大な事実誤認である。しかし、原判決のこの点に関する事実誤認については、相弁護人高橋勇次、同土居範行提出の控訴趣意書に詳論されているので、ここでは、被告人が右のような手段を用いたのは脱税のためではなく、何らやましいところはなかっというにとどめ、これ以上は立ち入らないこととする。

4、所得不申告まで深刻に苦しみ悩んだ

被告人は、昭和六一年分の株式売買益についてはともかく、昭和六二年分の株式売買益を申告しないことに決心するまでには、幾度となく彷徨逡巡し、良心の苛責から深刻に悩み苦しんだのである。

被告人は昭和六二年九月か一〇月頃、本件類似の脱税事件の新聞報道によって、株式売買益に対する課税要件を知り、それと同時に、自己の株式売買についても課税要件を充足し、かつ相当の利益を生じていることのおおよその判断がついた。そこで、昭和六三年三月一五日には昭和六二年の株式売買益の申告をしなければならないと考え、売買益を圧縮するため、昭和六二年一二月下旬には、価額の低落した株式を一旦売却し、その売却価額で買戻すことにより所有株の原価を落とす、いわゆる損切りという売買方法をとって、約七〇〇〇万円程の利益を圧縮するなどして、翌年三月一五日の確定申告をすべく準備をしたのである。

しかし、一方で被告人は、右申告の結果陥るであろう新たな不安に襲われるに至った。即ち、もし株式売買益を申告することになると、全国の所得番付の上位に位置づけられ、被告人の氏名が大新聞の一面記事に掲載されるであろうことなどを想像し、その結果銀行員であることの身分が判明して、三井信託銀行にも直接迷惑をかけるとともに、被告人も退職せざるを得なくなるものと判断し、その反響の大きさに思いを致して日夜悩みつづけ、時には恐怖心に襲われるようにもなった。

被告人は、このような心境について特に相談する人もなく、唯一人で悩み続け、寝汗をかいたり、不眠症に陥ったり、精神状態は著しく荒廃し、妻子にも悪影響を及ぼすようになっていった。また、その頃友人からも、精神状態が普通でない旨を指摘されるなど、被告人の悩みは深刻なものであった。被告人は、株式売買は一切止めようと決心し、昭和六三年からは従前のような株式売買は一切行わず、ひたすら三月一五日の確定申告につき思い悩んでいたのである。

被告人の妻は日夜悶々とする被告人に対し、所得申告をするよう勧め、これがため銀行を退職せざるを得ないならば、銀行を辞めて独立したらよいではないかと助言したが、被告はその決心ができず逡巡していた。

そして、昭和六三年三月の申告時期直前になってから、被告人は妻の勧めにもかかわらず、結局、株式売買益の申告をしないことに決心した旨を妻に告白したが、後日脱税が判明した場合の恐ろしさに怯え、三月一四日に虚偽の確定申告書を提出するに際しては、ひとりでは税務署に行く勇気がなく、妻に同伴を求めるという状態であった。

被告人が右のように所得申告をするかどうかについて深刻に苦しみ悩んでいたということは、被告人の良心的かつ誠実な人間性の一面を物語るものであり、被告人にとって有利な情状として、量刑のうえで十分に斟酌されなければならないと考えるのである。(被告人の公判供述、証人瀬戸陽子の公判供述参照)。

三、犯行後の情状について

1、所得不申告後も良心の苛責に苦しんだ

被告人は昭和六三年三月に株式売買益の不申告を決心した後においても、その罪を悩んで苦しんでいたもので、その間株式売買に関する一切の記録書類等は、いずれも自宅に保管したまま査察の際すべてを提供しているものであり、証拠隠滅などの行為はまったくしておらず、その間も不安と反省の日々を送っていたのが実情である。

2、誠心誠意逋脱税等を全額納付した

被告人は脱税容疑で東京国税局による査察を受けて以来、自分の軽率な行為を深く改悔し、税務当局の調査に対し、終始事実を率直に認めて誠実に対応するとともに、できれば脱税した所得税を一日も早く納めてその責を果たしたいと考えた。本来、脱税した税金は、税務当局の税務調査が完了してから納めても決して遅くはなかったのであるが、被告人は深い反省と良心の苛責から、税務当局による調査完了をまたずに納めるべきものは一刻も早く納めたいと切実に考え、自主的、精神的に早期納税を実行したのである。

即ち、被告人は各証券会社から株式売買報告書を取り寄せるなどして資料を集め、それらを検討して、昭和六一年と昭和六二年の株式取引による株式取引による所得額、税額を算出した上、昭和六三年八月五日、世田谷区北沢税務署長に対し、自主的に右二年分の所得税の修正申告書を提出した。

被告人の計算によると、昭和六一年分、昭和六二年分の二年分を合わせた税金額は、その所得税額が、金六七九、九二八、四〇〇円、延滞税額が金二五、三二五、六〇〇円というきわめて高額なものとなった。

被告人はそれらの税金を納めるため、預貯金を取り崩したり、税務当局に申し出て、領置されている株券を返してもらい、これを順次売却するなどして金策し、同年八月一六日から同月三〇日までの間に、それらの所得税、延滞税の全額を納めたのである。

その後税務当局による調査結果が出ると、被告人はその指示に基づいて再修正申告書を提出したり、減額更正決定を受けるなどして、平成元年一月三一日までには所得税、延滞税の過不足をすべて清算したのである。

このようにして被告人が納めた所得税等は、結局において昭和六一年分の所得税が金四八、〇六六、七〇〇円、延滞税が金五、一三一、三〇〇円、昭和六二年分の所得税が金六三二、二〇三、七〇〇円、延滞税が金二〇、七七四、〇〇〇円となったのである。

また、被告人は、その後平成元年一月三一日北沢税務署長から、昭和六一年分の重加算税金一四、四〇〇、〇〇〇円、昭和六一年分の重加算税二二一、一九三、〇〇〇円および同年分の過少申告加算税金二一、〇〇〇円の賦課決定を受けたが、これについても、自宅などの不動産や手持ち株を売却処分して金を作り、平成元年三月一六日にその全額を納めたのである。

さらに、被告人は、市民税等の地方税についても、市当局からの納税通知をまたずにその全額を自主的に早期に納めているのである。即ち、被告人は昭和六一年分の地方税金一四、一四〇、八〇〇円を昭和六三年九月一四日から平成元年一月三一日までの間に横浜市金沢区役所に全額納め、また昭和六二年分の地方税金一六九、五二九、五〇〇円を昭和六三年一〇月一四日から平成元年一月三一日までの間に東京都世田谷区役所に全額納めたのである。

右のように、被告人は所得税合計金六八〇、二七〇、四〇〇円、延滞税合計金二五、九〇五、三〇〇円、重加算税合計金二三五、六一四、〇〇〇円および地方税合計金一八三、六七〇、三〇〇円を誠意をもって全額納付したばかりか、特に、所得税、延滞税、地方税については、通常の場合よりきわめて早い時期に自主的に納付しているである。

被告人がこのように納税のために積極的に努力したことは被告人の反省、悔悟の結果以外のなにものでもない。そしてまた、昭和六一年と同六二年の所得の総額は金一、一五七、五二八、三七七円であったのに対し、納めた税金総額は金一、一二五、四六〇、〇〇〇円であって、所得の九八%強を納めたことになるのである。(被告人作成平成三年七月一九日付上申書、被告人の公判供述、証人佐光孝次の公判供述参照)。

3、当局の調査、捜査に積極的に協力した

被告人は本件について深く改悛し、税務当局、検察当局の調査、捜査に積極的に協力した。

即ち、被告人は自宅に保管し置いた株券や株取引に関連する資料をすべて当局に提出し、税務当局からのたび重なる出頭要求に対しても万障繰り合わせて快く応じ、昭和六一年分の課税要件についてはともかく、その余の事実は終始率直に認めて誠実に対応し、当局による事実関係の調査に積極的に協力したのである。被告人のこのような率直にして誠実な態度は、その後事件が検察当局の手に移ってからも変わることがなく、検察当局による事案の解明、捜査の進展、早期終結に積極的に協力しているである。

4、本件後税法制が変わった

本件の後である昭和六三年一二月と平成元年四月に株式売買益に対する課税法制が改正されたことは周知の事実である。

昭和六一年、同六二年当時においては、原則非課税とし、例外的に一年間の売買回数が五〇回を越え、かつ株式数が二〇万株以上の場合、または同一銘柄について二〇万株以上の取引をした場合に生じた売買益についてのみ、例外的に申告を得て課税する建前であった。

昭和六三年一二月より例外的に課税される場合の右要件について、五〇回が三〇回に、また二〇万株が一二万株にそれぞれ変更され、更に平成元年四月からは、従前の課税要件は撤廃され、源泉分離課税方式と申告分離課税方式に改められたうえ、納税者にそのいずれを選択するかの自由を与えているものであり、昭和六一年及び同六二年当時とは全く課税方式を異にするに至ったものである。

今回の法改正は、株式売買益についてはいわば原則課税とし、その納税方法を二分して納税者に選択権を与え、株式売買に係る者の納税意識を徹底させると共に、税率及び納税額を適正な割合に調整して、実効性のある法制度を整備したものとして評価さるべきである。

因みに、平成元年四月から施行された株式売買益に対する課税方式に基づき、被告人の昭和六一年及び同六二年の各利益に対する税額を試算すると、つぎのとおりであり、客観的な同一事実に対する課税金額の差異に驚かざるを得ない。

即ち、現行法制では、現物株の売買については売買代金の一%の源泉分離課税または、売却益の二六%(所得税二〇%地方税六%)の申告分離課税のいずれかを選択できる。

また、信用取引については、取引ごとの実利益の二〇%の源泉分離課税または一年間の売買益(一年間の損益合計)の二六%(所得税二〇%地方税六%)の申告分離課税のいずれかを選択できる。

なお、源泉分離課税を選択した場合は、いずれも天引課税であるから確定申告の必要もなく、かつ現物株、信用取引のいずれにも地方税は課税されない。

そこで、本件被告人の現物株の売却と信用取引について、平成二年一一月六日付被告人の検察官調書添付資料〈1〉の1乃至4に基づき試算すると以下のとおりである。

(一) 源泉分離課税を選択した場合

(1) 昭和六一年分

(イ) 現物株の売却に係る所得税は売却金額金三四七、一三五、四九八円の一%である金三、四七一、三五四円となる。

(ロ) 信用取引による売却益に係る所得税は、売却益金八九、六四七、〇二九円の二〇%である金一七、九二九、四〇五円となる。

右(イ)(ロ)の合計金二一、四〇〇、七五九円となる。

(2) 昭和六二年分

(イ) 現物株の売却に係る所得税は、売却金額金三、五三九、九八一、九六〇円の一%である金三五、三九九、八一九円となる。

(ロ) 信用取引による売却益に係る所得税は、売却益金一三〇、九八七、七六九円の二〇%である金二六、一九七、五五三円となる。

右(イ)(ロ)の合計金六一、五九七、三七二円となる。

(二) 申告分離課税を選択した場合

(1) 昭和六一年分

(イ) 現物株の売却に係る所得税は売却益二三、六六一、四六七円の二〇%である金四、七三二、二九三円となる。

現物株の売却に係る地方税は売却益金二三、六六一、四六七円の六%である金一、四一九、六八八円となる。

(ロ) 信用取引による売却益に係る所得税は、売却益金八九、六四七、〇二九円の二〇%である金一七、九二九、四〇五円となる。

信用取引による売却益に係る地方税は、売却益金八九、六四七、〇二九円の六%である金五、三七八、八二一円となる。

右(イ)の合計所得税金二二、六六一、六九八円

地方税金 六、七九八、五〇九円

(2) 昭和六二年分

(イ) 現物株の売却に係る所得税は売却益一、〇五六、四八九、二七四円の二〇%である金二一一、二九七、八五四円となる。

現物株の売却に係る地方税は売却益金一、〇五六、四八九、二七四円の六%である金六三、三八九、三五六円となる。

(ロ) 信用取引による売却益に係る所得税は、売却益金一三〇、六九二、三三七円の二〇%である金二六、一三八、四六七円となる。

信用取引による売却益に係る地方税は、売却益金一三〇、六九二、三三七円の六%である金七、八四一、五四〇円となる。

右(イ)の合計所得税金二三七、四三六、三二一円

地方税金 七一、二三〇、八九六円

以上の計算からも明らかなように、仮に税制上有利な源泉分離課税を選択すれば、現行法制では本件被告人の昭和六一年分の所得税は金二一、四〇〇、七五九円であり、また昭和六二年分は金六一、五九七、三七二円となり、両年分を合計しても所得税額は金八二、九九八、一三一円であり、本件所得税額と著しく異なるものである。

右のように納税額に著しい差異を生じたのは、株式売買益に対する課税制度が変更された結果であるが、このことは株式売買益は、株式相場の乱高下により一瞬にして損失に転じる危険を伴う利益であることの特徴に対する考慮に加え、株式取引にも原則課税の精神を徹底させることにより、納税意識を高揚させようとの政策的配慮などによるものと思われる。

これらの事情に考慮するならば、株式売買益の逋脱に対する刑事責任の追及、とりわけ株式相場の暴落により生じた損失補填の制度的保証のない個人に対しては、売買益発生後の経済事情の著しい変動や、課税に関する法制度の抜本的な変更により生ずる納税額の著しい不公平などにも十分に配慮し、適切な刑罰が科せられて然るべきである。

四、一般情状について

1、既に相当の社会的制裁を受けている

被告人は昭和四一年三月早稲田大学法学部を卒業し、同年四月三井信託銀行に入行し、年若くして同銀行有数の支店である渋谷支店の支店次長となったもので、将来を期待されていた行員の一人であるが、本件のために将来性ある銀行員としての地位を失うに至ったもので、被告人はもとよりその家族にとってもまことに痛恨のきわみというべきである。

また、被告人は税務当局の強制調査(査察)を受けたこと自体による打撃はもとより、査察を受けた後の同年六月頃から、新聞等で三井信託銀行渋谷支店次長のコーリン株取引による巨額脱税事件として大きく報道されて世間に周知されたこと、それ以来昼となく夜となく、多くの報道関係者、ときにはヤクザ風の者までが自宅に押しかけて来たこと、昼夜の別なくいやがらせ電話が頻繁にかかってくるようになったことなどによって、被告人のみならずその妻子までもが精神的に筆舌に尽しがたい苦痛を味わうこととなったのである。

それのみならず、被告人は外出も自由にできなくなったし、妻も多くの友人を失ったばかりか、毎日の買い物に行くにも、近所の眼を恐れて暗くなってから出かけるという有様であった。また、当時小学四年生の二女は学校でいじめられたため三ケ月も登校拒否して学校へ行かなかったし、中学三年生の長女は精神的に動揺して高校受験のための勉強が身に入らないという状態であった。

その後、被告人一家は世田谷区内から板橋区内に居を移し、漸く安らかな生活に戻れるかと思った矢先の平成二年一〇月二四日、今度は検察当局によって突然被告人が逮捕されたのである。新聞等は前回にもましてこのことを連日大々的に報道し、その後、同年一一月一三日起訴されるとこれまた大きく報道されるという有様で、そのため被告人およびその家族は、税務当局による査察以来、二度ならず三度までも前同様の大きな精神的苦痛を味わされることとなったのである。

それにしても、ここで特に強調したいことは、本件においては、果たして被告人を逮捕する必要があったかということである。被告人は税務当局の査察を受けて以来、罪の責任を深く感じ、当局の調査に対し、率直に事実を認めて誠実に対応し、その事案の解明に協力してきただけでなく、所得税、延滞税、重加算税および地方税の全額を、自発的に、通常の場合によりもきわめて早い時期に納付してその責を果たし、深い反省にたって人生の再出発として日々懸命に生活の建て直しに努力していたのである。

しかるに、査察から二年六ケ月もたち、世間も被告人本人も忘れかけていた頃になっていきなり逮捕されることになったのである。そのような経過に照らしても明らかなように、被告人については罪証隠滅のおそれも逃亡のおそれもなかったのであり、その逮捕は必要性を欠くもので不当である。その結果、被告人およびその家族がどれほど不必要な精神的苦痛を強いられることになったか。まことに思い半ばにすぐるものがある。

右のような事実ならびに後述する被告人の逮捕勾留によって、被告人が熱意をもって考えていた人生の再出発、生活の建て直し計画が挫折に瀕している現状にかんがみれば、被告人は既にそれ相当の社会的制裁を受けたものといわなければならない。

2、更生のため懸命に努力している

被告人は納税を完了した後の平成二年五月頃から、人生の再出発として生活の建て直しを図るため、仙台市内においてワンルームマンションを対象とした不動産賃貸業を始めた。

被告人が不動産業を選んだ理由は、脱税事件を起こした手前、他に就職先を求めることがはばかられたことと、将来刑事裁判になった場合には、多額の罰金も納めなければならないことが予想され、その資金作りのことなどを考えると、自営業による金策以外に方法がないと考えたこと、それも、三井信託銀行在職当時から、不動産関係業務に通じ、自らも不動産鑑定士、不動産取引主任の資格を得ていたことなどの事情から、自然、手馴れた不動産業を選ぶこととなったのである。

被告人は仙台市内に逐次賃貸用のワンルームマンションを購入し、その数三五、六室におよんでいるが、まだ事業が軌道に乗り切らず、収益も少ないうえ、マンション購入資金を中心とした約一二億円の借金があって、毎月金利の支払だけでも容易でないという状態であった。しかし、被告人は生活の建て直しと更生をかけて懸命の努力を続けて来たのである。

ところが、平成二年一〇月二四日被告人が検察当局によって突然逮捕されるというきわめて悲惨な状態が発生した。しかも、このことは新聞報道等によって直ちに世間に広く知れ渡り、銀行も被告人に対する貸し出しをすべてストップしたばかりか、逆に被告人に対し、返済を強く迫ってくるようになった。そのため、被告人は生活再建の夢が破れ窮地に立たされることになったのである。

被告人としては借金を返済するには、今のところ購入したマンションを逐次売却してその弁済源資を作る以外にないのであるが、あいにく最近の不動産業界の冷え込みによってマンションの売却も容易でなく、そのため被告人はその対策に日夜苦慮している実情である。

3、被告人は必要不可欠の存在である

被告人は債権者に迷惑をかけたくない一心で、連日、各金融機関との折衝にあたったり、マンションの早期売却に奔走するなどして最大限の努力を続けているのである。その仕事はきわめて厳しく困難であり、長年の銀行勤務で金融取引業務や不動産取引業務に通じている被告人なればこそなしうるところであって、その方面の知識、経験のまったくない被告人の妻では到底なし得るものではない。また、他に被告人に代わってこれを処理できる適当な人材も見当らない。したがって、現状においては、被告人は必要不可欠な存在であり、到底余人をもってしては代えがたいところといわなければならない。

一方また、被告人の家庭には妻のほか高校三年生の長女と中学三年生の二女がおり、妻は家計を助けるため東京都内のデパートに臨時職員として時給一〇〇〇円で働きに出ているが、もとより妻一人の細腕で家計を支えることは不可能である。

右のような事情のもとにおいては、もし、被告人が懲役刑に処せられて現実に服役しなければならないとなると、被告人の事業は確実に破産することになり、その結果、債権者に多大の迷惑をかけることになるはもとより、将来の生活設計、更生計画も崩壊し、妻子はたちまち路頭に迷うという悲惨な結果に陥ることは必定である。もしそうなれば、それはあたかも罪なき者に刑を科するのと同様の酷な結果となってきわめて不当といわなければならない。

4、被告人は心から反省悔悟している

被告人は元来、誠実で真面目な人柄であるが、それだけに本件が発覚してからは罪の責任を深く感じ、自主的に三井信託銀行に辞表を提出し、誠意をもって逋脱税等全額納税に努力し、当局の調査、捜査にも積極的に協力するなどして反省の態度を表明してきたが、その後の起訴、審判を通して、刑事裁判の有する教育的機能に始めて、かつ直かに触れることとなり、ここに改めてことの重大性、罪責の重大性を認識するに至った。そして、現在では心から反省悔悟し、更生を強く誓っているのである。

5、その他の情状

被告人は温厚、真面目な人柄であり、職務についてはもとより何事にも熱心に取り組むうえ、語学にたん能で、エジプト考古学の研究に打ち込むなど学究肌の人物である。それにまた、被告人は元来親思い、家族思いの優しさがあり、家庭にあってもよき父、よき夫であった。

被告人は本税、延滞税、重加算税、地方税などを完納することによって株式の売買益のほぼ百パーセントをはき出し、手許に保留されている売買益はほとんどない。

被告人には前科前歴がなく、本件が文字どおりの初犯であり、再犯の恐れもまったくない。被告人の家庭には妻と就学中の子女が二人いるが、いずれも経済的には無力で被告人に依存するほかはない。また、被告人には現在約一二億円の借金があり、もし、ここで現実に服役することになると債権者に多大な迷惑をかけることになるのみならず、妻子も路頭に迷うという悲惨な結果を招くことになる。

五、所得税法事犯に対する刑事制裁について

課税の免税を図る行為が反社会的違法行為として容認し得ないものであることはいうまでもないところであるが、逋税の要件を定める租税法規には複雑かつ技術的な面があると同時に政策的な要素が多く、その趣旨の徹底が十分でない場合が少なくない。

他方、脱税行為は現代資本主義の経済機構とも密接に関連するといわれ、現実の経済社会においては、逋脱金額の多寡は別としても、事実上免税行為が相当行われていることも否定できない。しかし、これら多くの脱税行為に対し、重加算税などの行政制裁に加えて逋脱罪として刑事制裁を科するには十分慎重でなければならない。著しく悪質と評価される脱税行為についてのみ刑事罰の対象とすべきである。そうでなければ到底一般市民の納得が得られるものではない。逋脱金額が高額であっても、重加算税などの行政的制裁により、国の租税利益の侵害が回復された場合は特にそうである。したがって、逋脱額、逋脱率のみに眼を奪われてはならないのである。

六、結び

以上の事情その他諸般の事情を参酌すると、原審が被告人に対して科した懲役刑の実刑の判決は余りにも苛酷というべきであり、また罰金額も高きに過ぎるので、当審におかれては速やかに原判決を破棄されたうえ、懲役刑については執行猶予の、罰金刑についてはできるだけ寛軽なるご判決を賜りたい。

平成四年五月一二日

右主任弁護人弁護士 長谷川修

東京高等裁判所第一刑事部 御中

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例